KOI

ポケモンだいすきWebデザイナーの話です。趣味で絵も描いています。

生きる道を選んで歩んできた人ってチョー強い

 私の周りにはありがたいことに人間がたくさんいます。それは私に影響を与えてくれる人・影響を受けてくれる人・変わらずに接してくれる人、言葉に表せないくらいたくさんの人間に囲まれてる中で、私に助けや答えを求めてくれた人もいました。

 つい最近ある人から「UDちゃんはどうして自立心が芽生えたの?」「悪循環から抜け出して先を見据えて行動できるのはなんで?」等々ありがたい質問をいただきました。これはブログの美味しいネタだ〜と思って筆を執った次第です。

 順序を追って半生(ってほど生きてない22歳だけど)をなぞりながら自分の今の力の源がどこにあるのかを書き連ねていこうと思います。

 

学生時代の劣悪環境と反抗期

 私の母親は私が2歳の時に離婚して近くの病院に勤める看護師でした。病院のそばにある祖父母の家に預けられて育った私はすくすくとおじいちゃん・おばあちゃん子として育って母親のことは「たくさん働いてかっこいいなあ」と尊敬していました。離婚した原因は、父親が音楽をやりたいからアメリカに飛ぶ!と言い始めた結果「夢を持っている人に憧れて結婚したけれど、幼い子供がいて働いている状況でついていけない」と判断したからだったようです。なので、嫌い合って別れたわけではなく、母親は時々私に父親の話をしてくれました。それはきっと私が父親に似過ぎていたからからかもしれません。

 6歳の頃から知らないおじさんとお母さんと私の3人で旅行に行くようになり、10歳の頃に「お母さん、結婚したい人がいるんだ」と言われて、私は拒絶も受け入れもできないまま「お母さんの人生だからお母さんの好きな方法で生きれば」としか言えず、母方の祖父母と別れおじさんの実家に引き取られ、劣悪環境が始まりました。

 新しい家はプレステ2もゲームキョーブもインターネットもパソコンもある豪邸でした。最初はその刺激的な環境に感動しつつ、勉強が好きだから・家が近いからという理由で名門私立中高一貫校にいくことを決め、受験勉強をして忙しく過ごしました。

 中学に上がってから徐々に母親に違和感を感じ始めました。多分反抗期の始まりだったと思うのですが、それにしても「私に構い過ぎる」「学校で私の自慢をしまくる」「全て私のことを知ったような顔をする」の3点が嫌すぎて、物を投げたり怒鳴られたり泣いたりの喧嘩を何度もしました。おじさんはその様子を見ても干渉せず、安全なところから物を投げた私に「ちゃんと片付けるんだぞ」と言うばかりで、苦しかったのに何も助けてもらえなかったことを覚えています。この頃から私と母親の世界が出来上がりすぎて、母子からおじさんへの信頼はどんどん薄れていきます。

 後から聞いた話ですが、母親は「お金のために結婚したら相手は自分の母親の介護のために結婚したらしい」と言っていました。悪い意味でwin-winの最悪協定を結んだ2人に囲まれ、おじさん方の母親がボケて脱糞発狂するようになり家にいても勉強ができずそのため学校に行っても勉強についていけずと言う悪循環に陥り、誰も味方がいない状況だと(祖父母も友人もいるのに対面を気にして)追い詰められた母親は反抗する私を黙らせようとバットで殴ってみたり包丁で脅してみたりして見事に私を「脅せばなんでも言うことを聞く奴隷扱い」するようになりました。

 そんな母親でも風邪の時だけは甲斐甲斐しく看病をしてくれたので、それが昔の母親に戻ったみたいで嬉しくて何度も仮病を使って学校を休んで母親にすりりんごを食べさせてもらうと言う「親に愛されたい」気持ちもありました。結局仮病とバレた時に殴られたんですけども。

 その時に「こんなところにいたらおかしくなるから、早くここから逃げて一人暮らしをできる状態になりたい」と自立心が芽生えました。学校の先生にもその旨を何度も相談しましたが、名門私立にトントンと就職できるような恵まれた人種である教員からはその場しのぎの答えしか返ってこなかったので、私はオトナを信頼できなくなります。

 そんな環境が続き、私は身体の不調から保健室登校になり高校2年の秋にうつ病と診断されて祖父母の家に逃げるように引き取られて学校にも行かないで祖父母の家で人生の夏休みを過ごします。

 

周りの人間を信じてみた

 劣悪環境の説明からやっと抜け出せましたね。ここから私にとってはいい出会いが続きます。

 まず成績が優秀で、かつ海外志向だった校長先生の企画するプログラムに積極的に参加していた私が不登校になったことで、心配してくれた校長先生が副教頭2人と担任を連れて家庭訪問にきました。冬の時期で、寒い日が続いていました。そのときされたのは「単位は足りているから出席日数だけ稼ぎに校長の話相手に残りの14日間、毎日学校へ来てくれませんか?」と言う提案でした。「そうすれば3年生に上がらせてあげることができる、君の将来が学歴不利にならずにすむ」と言う言葉ももらいました。

 「将来」が一番見えていなかったのがこの時期で、中学生の頃は「海外が好きだからツアーガイドになって、そのためには語学を勉強したいから外語大に行きたい」と言う明確な夢があったのに、学校にも行けずレールを外れた瞬間に「夢(将来)」がわからなくなっていました。

 同時期に叔母から勧められた学業施設のカウンセラーの先生とも定期的に話していたのですが、その先生が校長先生と仲の良い関係だと教えてもらい、少しずつ周りのオトナを信頼できるようになってきました。その要因は「オトナにきちんと守られている自分(コドモ)」をはっきりと認識したからです。「私にしてくれたオトナたちみたいに、弱いものを守れる人間になりたい」とも憧れを持つようにもなりました。

 結局19歳頃までカウンセリングに通い、その後職業訓練校に通うことに決めます。

 

あなたの自立心はどこから

 さて、冒頭の質問の答えになりますが、私の自立心はどこから生まれたかというと「周りの信頼できないオトナへの反抗心」からくる「自己防衛意識と、「信頼できたオトナへの尊敬心」からくる「将来の自分像と言う、プラスの面とマイナスの面を持ち合わせたところから発生しました。

 自立と独立は異なります。私は、似ている言葉であっても言葉が分かれているのには意味があると考えています。

 自立とは、「自分で立つこと」・独立とは「独りで立つこと」です。

 後者は独りで立ち向かわないといけない物事に対して対処できるようになったときに使う言葉で、前者は「周りの人を頼って自分という人間を確立する」ことだと思います。

 

 私はいろんな人によく「周りの人をもっと頼ったらいいよ」と言うアドバイスをします。頼れる力はすごい力だと思います。頼れるということは、「自分の弱さを認めた上で他人に話せる」という、正直で赤裸々の強さがあるということです。

 私は「正直に誠実であれ」ともよく言います。そうしないと周りの人は助けてくれないからです。

 なので、順序としては、「正直に誠実に生きる」ことをして「周りの人をどんどん頼って」、「自分という人間を確立する」ことができるようになると、次第に「何かに対して独りで立ち向える力」を身につけられる。というのが正しいのだと思います。

 何かに頼ることは甘えじゃない、自分を創るために必要なことだから絶対にしたほうがいいことです。だから「甘え」だなんて言葉で自分を責めないで欲しい、人は人を頼って生きていけるから人間として営なめているんだと思います。ごく当たり前のことだけど、それができることが人間として素晴らしいことなのだと思います。

 

  私を「頼って」くれた質問者さんは、十分に自立をしている人だと思います。

 

長くなったのでこの記事は一旦ここまで。次は「先を見据えた行動・思考をできるようになったキッカケ」について記事にしていきたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。