KOI

ポケモンだいすき同人女の話です。

友人が(と)一世一代の喧嘩

高校時代の友達と喧嘩した。

 最近になってじわじわと気づいたのだが、私は高校時代によくしてくれた友達と喧嘩したらしい。その友達を友人Yとしよう。

 特に仲の良かった期間は17~18歳の高校2〜3年生の間で、喧嘩のきっかけは18歳の最後の時、私が「もしかして友人Yのことを怒らせてる?」と感じたのが成人式、怒らせた上に相手がかなり根に持っていてきっかけはアレか!と気づいたのが今日だった。気づくのが遅すぎてドジで間抜けなヤドンすぎる。まだ何も解決はしていないけれど、時系列に書き連ねていこうと思う。気持ちのいい話ではないので冷やかし程度に読んでみて〜

 

 

高校時代、不登校

私は高校2年生の秋頃に不登校になった。大好きなお昼の時間に大好きなおっきなお弁当箱を食べきれなくなってきて、徐々に食が細くなっていつのまにかいつもご飯を食べていた友達から逃げるようにコソコソと校庭の隅でお昼ご飯を食べるようになり、食べ終わったら図書館の一番人気の少ない一角を陣取ってボーーットして誰とも喋りたくない日が続いていた。

 自分でもコントロールが効かない気持ちの落ち込みっぷりが現実逃避を現実に持ってきて、登校しようとするといつのまにか3時間歩いて隣町に着いていたりして誰にもSOSが送れずに3時間かけてまた帰ったりしていた。

 家はボケた元父方の義理のおばあちゃん(親は後々離婚した)が金切り声を随時あげていて勉強できる環境ではなかったし、元父は介護を母に任せたきり家を出て帰ってこなかった。母親と私は母子家庭状態になりがんじがらめでよくケンカをした。殴り合いやものの投げつけ合いだったりをして、満身創痍心身ともにボロボロの状態だった。

 学校では徐々に保健室登校になって、保健室に担任の先生はきてくれたけれど、私の「勉強ができないんです、国立の大学に行きたいけれど両親が不仲でお金を出してもらえるかもわからない、学校も20時までしか開いてくれない・図書館もそう、居場所がないんです」という切実な相談に

「僕もお金がなくても大学に行ってこうして教師になれたよ」

「!、どうやったんですか?」

「猛勉強をして奨学金で行ったよ」

と、”30代実家暮らし”で”独身”の”私立高校の教師”は答えてくれた。私はその人からその答えをもらった時に、「ああ、私は環境に恵まれていないから大学へはいけないんだな」とぼんやり感じた。

 その時から状態が良くなるまでの記憶はあまりないのだけれど、家から毛布と食料と銭湯の回数券とお金をくすねて数週間家に帰らず、比較的治安のいい駅で夜を過ごして昼は図書館などの公共施設で本を読んだりして過ごす日々を送った記憶だけある。環境から逃げることに無我夢中だった。そんなこんなしているうちに母方の祖父母の家に引き取られ、庭の剪定をしたり花屋の配達について行ったりを重ねて暇を潰した。学校の友達とも疎遠になる中で、家族以外の唯一の交流相手が学校の校長先生と、のちに某高の副校長になるカウンセリングの先生と、友人Yだけだった。

 やっと話に出てきた友人Yだけど、Yはわたしの状況を知ってかしらずか家族ぐるみで仲良くしてくれて、一緒に美術館や博物館、個展の友人の紹介などいろんなところに連れ出してくれた。わたしの実家の祖父母には花屋があって、その花屋に美術展が広告を出すので、広告料として無料閲覧券をもらったりした時はYを誘って一緒に行ったりした。

 Yの両親はどちらも教師で、特によくしてくれた父親の方は国立大学の教授だった。ポヤポヤした人で、宙になんとなく浮いているような妖精みたいなお父さんだった。大学近くの一軒家に住んでおり、壁が天井まで本棚になっていて、まるで迷路のようで、トイレに行くまでにちょっとしたワクワク冒険気分を味わったりした。

 Yは相談事を家族とするらしく、それをよく嬉しそうにわたしに話してくれていた。

「この前お母さんに〇〇を相談したら、こうしたらいいんじゃないって教えてくれたんだ」

「お父さんはあまり喋らないけど、本を貸してくれて、読んだら頭がすっきりしたんだよ」

 わたしはそれを微笑ましく感じていたし、素敵な家族だなあと思っていた。そんな感じでなんとか私立のおかげと校長先生の権力のおかげとギリギリの出席日数を取るための14日間連続通学のおかげで高校3年までに上がらせてもらったわたしは、ちょっとずつ人の好意を受け取りながら心身ともに回復していった。

 18歳の3月某日、みんなは高校を卒業して、同じ日にわたしは高校を退学した。

 

そして喧嘩

 Yは北海道の国立大学に現役入学が決まっていて、北海道に行くまでの間に高校時代の友人と卒業旅行に行ったり大学の準備でてんやわんやしていた。わたしはその間ぼーっと積もる雪に投げたパンくずを食べにきたスズメがつけて行った足跡を眺めていたりした。

 そのままYは北海道へ行き、わたしは地元でダラダラしていた。いつだったかの帰省の時に遊ぶ約束を取り付けた。

 何をして遊んだのかは忘れたけれど、楽しかったのか、Yは「明日も遊びに来てもいい?」と聞いてくれた。わたしはぼーっとしながら(まさか二日連続で1時間もかけてうちまで来ないよなあ)と思いつつ「明日は多分ものづくりしてるだろうけど、別に来てもいいよ」と言った。

「何を作るの?わたしも一緒にやっていい?」

「いいよ、じゃあまた明日ね」

 

 翌日、Yは片道1時間半かけてうちにやって来た。電車とバスを乗り継いでわざわざやって来たのだ。わたしは本当に来るとは思っていなかったのでものづくりをしていた。ものづくりというのは、羊毛フェルトの一式をバーっと並べて、その隣に針金とアルミホイルと粘土を置いて、またその隣にアクリルガッシュを置いて、何を作るのかじっくり考えてから適当に手を動かしてなんかを作ることだった。

 わたしは一緒に作るものだと思って「ここにあるやつ好きに使っていいからね」といた。何を作ろうかわたしは考えていて、Yも黙ってわたしのことを見ていた。わたしが手を動かし始めた時にYは「ねえ、わたしここにいる意味あるかな?」とわたしに尋ねてきた。

「?、一緒に作るんじゃないの?」

「UDちゃんってわたしがいなくても楽しそうだね」

「いや、一緒にいるじゃん」

「わたしがここにいる意味、あると思う?」

「本当にどういうこと?」

 意思疎通がなんとなくできてないことがわかった。泣き出してしまったYに事情を聞くとわたしの貸したゲームで通信して対戦をしたかったようだ。その時、ポケモンをやったことがないと言っていたYにリーフグリーンを貸して、わたしはファイヤレッドをプレイして、SPも貸して、二人してレトロゲームで遊んでいた。あーそういうことかあと思って通信ケーブルを取り出して通信しようとしたら、ケーブルが壊れていてできなかった。ワイヤレス通信もうまくいかず、Yの目的だったポケモンの対戦はできなかった。

 Yはまだ泣きべそをかきながらだったが、二人でケーブルもワイヤレスもレトロで壊れてたねとあははと笑っていたので、もう雰囲気はなごんでいた、と”わたしは”思っていた。お昼を過ぎてご飯を食べ終わったらYが「北海道に帰る準備をしないとだから」と言って帰り仕度を始めた。するとまた泣き出してしまい、「どうしたの?ゲームできなくて本当にごめんね」と話しかけたらこう言った。

わたし、UDちゃんの一番の友達にはなれない。

 ???で頭の中はいっぱいになったけど、それを言い残して帰ろうとしたので慌てて止めて、駅まで30分ほど歩けば着くから、送るから、ちょっと話そう。と言って帰り道では頑なに口を開こうとしなかった彼女は本当の帰り際に何かを話していたけれど、今のわたしは忘れてしまっているので書き記すことができない。ただ、「また遊ぼうね」とわたしが言ったことに対して曖昧な返事しか返されなかったことだけ覚えている。

 

バイトと職業訓練校、就職

 学校が終わってしばらくたち、6月に誕生日を迎えて19歳の8月にバイトを始めた。結婚式場のコンシェルジュのバイトだった。始めて6ヶ月めあたりから6ヶ月制の職業訓練校に通い始め、訓練を受けながら職探しをして、今の会社に拾ってもらい、バイトは満1年で円満退社した。

 職業訓練校では6ヶ月の詰め込み訓練で毎日が飛ぶように過ぎていき、適当な資格を3つ取って途中でハタチになり飲めるようになってからは飲み会に誘ってもらえるようになり、20〜40代の幅広い年齢層の人たちの身の上話を聞いたりした。中卒だったり退学だったりが当たり前の世界だった。「UDちゃんは〇〇高校だったんでしょ、高学歴じゃない!なんで大学行かないで職業訓練校に来てるの?」と聞かれて、「親のお金じゃなくて自分のお金で大学に行きたかったのでまず就職をと思って」と口からでまかせを言っていたらみんなから「若いのにしっかりしててえらい、親御さんは喜ぶはなしだねえ」と褒められたりした。

 「大学に行くお金がなく勉強のできない環境で大学を目指すにはわたしの気力が弱過ぎた」とは言わなかった、「自分のお金で大学へ行きたいから就職する」とずっと言い続けていたらなんとなくそっちの方が正しい気がして来た

 若さの功でスルスルと訓練の内容を覚えたわたしは周りのクラスメイトから頭一つ飛び抜けた成績を訓練校で納め、就職も一番に決まった。何かで1番になれたのは小学生以来だった。

 就職してしばらくたち、成人式の季節になった。

 

成人式、Yとの再開

 職業訓練校の間に高校時代で疎遠になっていた友人とは連絡を取り始めていて、みんなは「様子がおかしいのは気づいてたけどどう声かけていいのかわからなくて」とか「元気になってよかったね、また遊ぼう」とか声をかけてくれた。

 成人式では高校時代につるんでいた友人たちと一緒に固まって行動していたが、いろんな人に会うたびに挨拶をしていたら案外みんなわたしを受け入れている?興味がなかった?わからないけれど、普通に接してくれていた。一人の友人は「急にいなくなったからまた高飛びして今度はヨーロッパにいるのかと思ってた」とか言ってた。ボウケンジャーか、わたしは。

 挨拶した中にYがいた。Yはわたしを見るなり近寄って来て「元気だった?」と聞いて来た。

「元気だよ、Yは?学校楽しい?」

「学校楽しいよ、元気そうでよかった」

何気ない会話の予定だったのだが、「スペインに行って来たんだ」というYの話から雰囲気が変わった。

「連絡取ろうと思ってたんだけど、なかなかできなくて」

「そうだったの!気楽に連絡してくれれば行くのに」

「ええ、それは・・・」

モニョモニョ

「スペイン?いいところだね、どうだった?」

「うーん、スペインに行ってやっと、UDちゃんみたいな人もいるんだなってわかったよ」

「?、どういうこと?」

「それ深く言わないといけない?」

「そりゃそうでしょ、意味知りたいもん」

「いやあ、それは・・」

 モニョモニョしながらYは自分のグループの友達と一緒にどこかへ行ってしまった。今思うとあれ、Yなりのパンチだったんだろうなあ、と思うんだけれど、わたしは全く気付かず、例の喧嘩?のことも全く忘れていたのでどうしてそんなつっけんどんにされるのかが全くわかっていなかった。ドジで間抜けなヤドンだ・・・

 

 成人式の後の同窓会ではたまたまYとわたしの席が隣だった。するとYは大声で「そういえば就職したんだっけ!?」と言った。高学歴の大学生ばかりいる同窓会で、頃合いを見てみんなと話す機会があったら少しずつ話していこうと思っていたわたしはYの急な大声にびっくりしてしまい、同時に「そういう繊細なこと、わざわざ大声で言う!?」と言う怒りが湧いて来た。

「就職ね、仕事楽しいよ」

「そっかー」

「スペインはどうだったの?スペインの人たちって基本温和でいいよね〜」

 身近にいたスペイン人を思い出しながら世間話を振ったつもりだったけれど、Yは小声で「何を知ったような口で」とわたしに悪態をついた。小声が聞こえてしまったわたしはさらにモヤモヤと怒りのような感情が湧いて来て、

学生のうちに楽しいことや経験できることはしといた方がいいよね

と軽いジャブを食らわせてみた。裏に「親に支援してもらえてやりたいことがやろうと思えばなんでもできる学生のうちに」という意味を込めて。

 そうしたらYは「なんでそんなつっけんどんなこと言うの」と突如傷ついた顔をした。わたしは(Yが言うか)と思っていたけどそれから何も言わなかった。その直後に同窓会では席替えが行われてYとは話す機会がなかった。それで終わり。

 

 原因はあの時だとはっきりしているけれど、わたしが根に持っていなかったぶん逆にYを深く傷つけてしまったのだ、それで2年も引きずって成人式でジャブを打って来たのだろう。でもそれ以前にわたしはYの気持ちをタコ殴りにしていたのかもしれない。

 不登校中”でも”唯一遊んだ””唯一”の”友達”だとYは思っていたのかもしれない、わたしは当時の記憶がふんわりとしていてそこまで深く考えられていたかったのでYの気持ちをタコ殴り・袋叩きにしてしまった。のが喧嘩の原因かなあと感じた。今。今!!!この文章を書き始めるついさっき!!

 

 どんだけわたしが人の心の繊細さに気付けない人間だったかを象徴するエピソードな訳だけど、今はそれより成長しているのではだってなんとなく気付けてしまったんだもの。ちなみにYのジャブに気付かずにジャブを止めてグーで握ったその手をこじ開けようとしたのも反省している。どんだけ空気読めてないんだ、面白すぎるな。

 ちなみにわたしは現状のことを申し訳なかったな、まあ(わたしがアレすぎるから)仕方ないかな、と受け止めているので反省しています。今度話せる機会があったら仲直りができるのだろうか、それはわからないけれど。

 

 まだ何も解決してないし今後解決するかもわからない終わりのない・オチのない話でしたがここまで読んでくれたひと、ありがとうございました。何かわたしへ「こうした方がいいよ!」「ここがダメだったんじゃないか」「どんだけ鈍い人間なの」とかの意見を聞けたら楽しいかもだけど、言ってくれる人はいなそうなので、ここら辺で締めておきます。ありがとうございました。